悪者見参―ユーゴスラビアサッカー戦記
木村 元彦

定価: ¥ 760
販売価格: ¥ 760
人気ランキング: 42063位
おすすめ度:

発売日: 2001-06
発売元: 集英社
発送可能時期: 通常24時間以内に発送
ユーゴサッカー戦記というよりもユーゴ現代史という感じです
ユーゴスラビア代表、ユーゴリーグ等のユーゴサッカーに関する取材を続けながら、ユーゴスラビアで起こっている出来事について書かれてあります。
特にこの時代のバルカン半島で混乱している様子がよく取材してあり、現地の生の声が分かります。
空爆当時のユーゴスラビアの様子などよく取材されています。
また、メディアの報道と戦争というものについても考えさせされました。
空爆当時のユーゴスラビアで何が起きていたのか、住民はどんな思いだったのかということが伝わってきました。
また、政治に巻き込まれることになったサッカー選手たちの話も考えさせられるものでした。
騙されているのは我々自身だ
読み始めたきっかけはなんのことはない軽いものだった。
暇つぶしになる軽い本を書店で探していたときに、
ピクシー(ストイコビッチのこと)が大写しになった表紙と、
挑発的なタイトルに惹かれて手にとった。
名古屋出身の私は、いまだに名古屋グランパスとピクシーのファンだが、
暇つぶし以上のものは期待していなかった。
この種のスポーツものは、軽く読めて暇つぶしには持って来いのはずだ。
それにしても、ここまで読む前の期待を大きく外した上に、
とてつもなく大きな置き土産を残した本も他にない。
これは単なるスポーツものに留まらないすさまじい本なのだ。
作者は誰もが行きたがらない内戦下の旧ユーゴスラビアに足を踏み入れ、
そこで見て体験したものを生々しくレポートしてくれる。
それは、旧ユーゴに関する報道をなんとなく見聞きしてきた我々が持つ
「ミロシェビッチ率いるセルビア=悪者」と言う常識とは
大きくかけ離れたものなのだ。
本に書かれたほとんどの情報が「伝え聞いたこと」ではなく、
「自身が見て体験したこと」であることは、情報として実に貴重だ。
独裁主義国家における言論統制を伝え聞き、
それを我々は自身のこととは考えないだろう。
しかし、この本は暴いてくれる。
米国の国益のために巧妙に制御されたプロパガンダに
騙されているのは我々自身なのだ。
この本は単なる「事実の暴露」だけに留まらない。
私は通勤電車でこの本を読みながら、
恥ずかしげもなく何度も涙を流した。
作者は、ピクシーに代表されるユーゴスラビアサッカーの美しさに惹かれ、
その魅力をひたむきに伝えようとしてくれる。
そしてそれはなぜか、無性に悲しい。
ユーゴ崩壊がもたらした民族の悲劇
「ユーゴスラビアサッカー戦記」とあるのだが、ただの観戦記ではない。文字通り「戦記」である。この作品に書かれているのは、サッカーを通じてあぶりされる内戦後のユーゴの生々しく深刻な民族の対立と悲劇である。
著者は、連邦を構成する共和国の独立に始まる旧ユーゴ崩壊とそれに続く内戦によってユーゴがどうなったのかを知ろうと、サッカーにかかわるあらゆる民族の人達に会い話を聞く。危険を顧みずにあらゆる場所に赴き取材を試みる。そして、取材中には怒り、悲しみ、喜び、笑いの感情をあらわにするのだが、そこから導き出される考えや結論はあくまで冷静であり中立である。
著者は「どの民族もいい奴ばかりなのにどうしてこんなことになってしまうんだ」と嘆く。内戦が残した対立は最早個人的な感情ではどうにもならなくなっているのである。
そして「絶対的な悪者は生まれない。絶対的な悪者は作られるのだ」と主張する。ここでいう悪者は各共和国の独立を阻もうと軍事介入を起こしたセルビアのことである。悪者を作ったのはアメリカを中心とする世界のことを指しているが、日本も含まれる。そしてメディアも含まれる。
ヨーロッパの火薬庫と称されるユーゴの民族問題は歴史も長く根も深い。それを第三者がエゴをむき出しにして力づくで解決しても傷は深くなるだけである。現在、ユーゴ内戦の評価は隠された事実の発覚などもあり全ての非がセルビアにあるとは言えなくなってはいる。が、残った傷はあまりにも深い。介入した国々の罪は重い。
著者がユーゴに魅せられたきっかけはピクシーでありユーゴサッカーである。それなのに、私が何冊か読んだ専門家によって書かれたものより、内戦の現実が伝わってく�る。当時世界から見放されたユーゴ代表チームがどのように戦っていたのかがリアルに伝わると同時に、内戦後のユーゴの現実を生々しく伝える優れた作品である。